古楽夢 ~拾九~

古楽夢(拾九)

軽井澤/広重画

 この絵は夕日がどっぷり沈んで暗くなった軽井沢宿の西南の外れの街道風景を示している。中山道はここから右折して沓掛宿へ向かっていた。背の高い鬱蒼とした杉の木立に囲まれて宿場はひっそりと静まり返り、宿場外れの家々だけに仄かな明りが点っている。遠方の高い山は愛宕山であろう。街道沿いの麦畑では肥料用に燃やした麦の殻や藁屑から焔がめらめらと立ち上り、周囲を照らし出している。手前の街道に立つ杉の木の根元でも火が焚かれ、無風のためか煙が真っ直ぐに立ち上っている。この焔に照らされた部分だけ杉の木の葉が鮮明になっている。風呂敷包を背に、煙草入れを腰に差した旅人が、燃え盛る焚火の中へ煙管を突っ込んで、煙草に火を付けようとしている。その背後の駄馬は荷物を背の両側に振り分け、中央に蒲団を敷いて、その上に絣模様の合羽を着た旅人を乗せている。「いせ利」(版元錦樹堂の名称)と書いた小田原提灯が馬の脇腹に取付けてあり、その提灯の明りの中で、馬上の旅人が、自分の煙管の煙草へ馬子の煙管から火を移して貰っている。道中では、火打(燧)石でしか煙草に火の付けようがなかった時代には、街道の焚火は非常に有難く、歩き疲れた旅人達はこれを見ると一服する気をそそられたのに違いない。



伝.上野国安中藩・初代藩主「井伊兵部少輔直勝」着用甲冑

井伊直勝(1590~1662)

井伊兵部少輔直勝 着用甲冑




徳川四天王の一人、井伊直政の嫡男であり、彦根城を築城したにも関わらず病弱を理由に弟・井伊直孝に彦根藩主の座を譲ることになった上に、彦根藩主の履歴を消された。後年は井伊直勝を名乗る徳川家康の命により、上野国の安中藩3万国の大名に国替えとなった直継は、井伊直勝と名を改め、病弱設定をよそに弟で初代大老にまで出世した井伊直孝より長命を保ち73歳で没した。



古楽夢(拾九)

碓氷峠の護りとして 直継の貴重な知行宛行状 直筆


古楽夢 ~六拾五~彦根城の紹介と関連