古楽夢 ~拾七~

古楽夢(拾七)

木曾海道六十九次之内
松井田宿/広重画

日本橋より129.5km

 この絵には米俵とともに馬子も乗せて逢坂を登って行く馬と、背一杯の荷物を積んで馬子に引かれて坂を下る馬が描かれている。手前は風呂敷包と藁苞を天秤に掛けた行商人である。遠景は碓氷峠でしょうか!


坂本龍馬と安中藩刀工のお話

江戸に出た龍馬は修行の合間に、刀屋や骨董品などを訪れていたのではないだろうか。 芝・愛宕下日陰町には刀屋や古道具屋などが軒を並べていて、江戸を出府した武士達が 訪れ繁盛していたという。おそらく龍馬もそうした場所に足を向けていたと思われる。 龍馬の修行は嘉永7年6月23日高知帰着で終わる。この帰国を前にして、龍馬が造らせたといわれる刀が現存している。

高知県南国市岡豊町八幡にある高知県立歴史民俗資料館に、土佐郷土・弘瀬健太の差料が展示されている。

銘 相州鎌倉住圀秀作 嘉永七歳八月日 刃渡り 二尺六寸六分

この刀は坂本龍馬が江戸修行の時に作らせたもので、後に弘瀬健太に譲ったものという口伝がある。ご子孫・弘瀬宏忠氏の所蔵で現在、歴史民俗資料館に寄託されている。

弘瀬健太は天保7年、土佐国土佐郡井口村に生まれた。龍馬の自宅からわずかに離れたところである。武市瑞山らが勤王党を結成するとこれに加わった。

文久2年、江戸に出て、長州の高杉晋作、久坂玄瑞などと交わっていた。

龍馬と弘瀬は友人であり、この刀がいつ頃か、龍馬より弘瀬へ譲られたようである。

国秀は江戸末期の刀工で、上州安中藩の御抱工であり、「上州安中住圓龍子國秀」「立花圓龍子國秀作」などと銘を切った作品が遺っている。

後に相模国鎌倉に移住して、「相州住圀秀」「相州鎌倉住圀秀作・嘉永七年」などと銘を刻している。相州鎌倉に移住した折、「國」を「圀」と改め、後者を「八方くにひで」として、前者と区別しているが同じ人物である。

龍馬の第一回目の江戸修行は、

嘉永6年3月17日 高知出立

嘉永7年6月23日 高知帰着である。

江戸で龍馬がこの「圀秀」を作らせたとすると、「嘉永7年8月日」と滞在期間が合わなくなる。しかし、これには訳がある。

刀剣の製作年月日は伝統的に「2月」「8月」の二種に切り分ける。一年を二期に分けて銘を切るのである。

「二月日」 秋の彼岸より翌年春の彼岸までに作った刀の月日とする。

「八月日」 春の彼岸より秋の彼岸までに作った刀の月日とする。

嘉永7年8月日の刀は嘉永7年春の彼岸から嘉永7年秋彼岸までとなるので、龍馬の江戸滞在期間内に製作されていた可能性がある。

龍馬が高知へ帰着したのが嘉永7年6月23日なので、江戸出立は6月初旬と思われる。 嘉永7年春の彼岸から龍馬江戸出立の6月初旬までの間にこの圀秀が出来上がっていれば時間的な矛盾はないのである。

この圀秀は龍馬の帰国に間に合うよう、製作されたとも考えられるのである。

圀秀は刀剣の位列(ランキング)からいっても上位の刀工ではなく、二十歳の龍馬が作らせたとしても決して不釣合いの刀工ではないのである。

嘉永7年、刀工圀秀は相州鎌倉に住んでおり、龍馬は江戸にいた。二人の接点はどこで出来たのであろうか。

圀秀は上州安中藩の御抱工であったが、嘉永年間に鎌倉に移住している。

日本刀剣史の中で最高峰とされる「五郎入道正宗」は鎌倉に住していた。この鎌倉時代の名工を偲んでか、あるいは鎌倉の鉄を求めて移住したのではないだろうか。

江戸の町では多くの刀工が作刀していた。龍馬がわざわざ相州鎌倉に居住していた圀秀に刀を作らせたのは何か理由があったのではないだろうか。

安中藩には海保帆平(かいほはんぺい)という剣客がいた。

帆平は文政5年(1822)生まれで龍馬より13歳年上である。

14歳で江戸へ出て、北辰一刀流・千葉周作の門下生となり、16歳で中目録、十九歳で大目録免許皆伝となっている。周作門下、最年少皆伝者で千葉門下、第一の実力者である。

水戸藩の藤田東湖に認められ、水戸藩主・徳川斉昭から懇望され、安中藩主・板倉勝明はやむなくこの逸材を手放している。

帆平は若年ながら水戸藩に五百石で抱えられ、同藩の儒者・会沢正志斎の長女を妻とした。そして、江戸・本郷弓町に海保塾を開いて塾生を育てている。

 安政四年十月三日、土佐藩主・山内容堂の江戸鍛冶橋の藩邸で行われた武道試合で、帆平は神道無念流の斉藤弥九郎と立ち会っている。勝負の結果は、引き分けたと書かれている文献と斉藤の勝ちとされている資料がある。

帆平が先輩の斉藤に勝ちを譲ったのが真相だともいう。

 嘉永六年、龍馬が修業に出た千葉道場門下には安中藩士も多くいた。海保帆平から直接とは思えないが、安中藩士の誰かから安中藩工・圀秀に刀を注文する機会を与えられたのではないだろうか。

武道の同門という強い結束の中から、龍馬は【相州鎌倉住圀秀】の刀を手にしたようにおもえるのである。

坂本龍馬と刀剣

坂本龍馬と刀剣(新人物往来社)の第四章 江戸修行―圀秀の刀より抜粋