古楽夢 ~弐拾参~

古楽夢(弐拾参)

岩村田/英泉画

英泉は宿場の絵に副題を添えて、描いた物像を具体的に示している場合が多いが、この絵には何の副題もない。従ってこの宿場を代表するのが何故盲人同士の喧嘩になったかは知る術がない。浮世絵研究家の中には、英泉が喧嘩好きであったからとか、このシリーズの出版進行中に版元と英泉、広重と英泉、広重と版元との間に生じた複雑な関係が英泉を苛立たせたためだと説明する人もいる。閑話休題、岩村田宿は、西へ善光寺道、東へ下仁田道、南へ甲州街道が分岐する交通四達の地として栄えた所である。そのため物資輸送をめぐって他宿との間で争いが屡々起きていたし、また宿場の北には荒っぽい乱暴者が多く住んでいて争いが絶えなかったともいう。またこの近くには荒宿という所もある。こうした要因が英泉にこの絵を描かせたのではあるまいか。憎悪まる出しの取っ組み合いと、杖を振り回しての乱闘は、金銭が絡んだ高利貸の座頭同士の喧嘩以外には一寸考えにくい。「夫婦の喧嘩は犬も喰わぬ」というが、この喧嘩は犬も喰いそうな勢いである。親分らしき座頭が榎の木を後盾にして腰を下ろしている土盛は、岩村田宿の少し西にあった一里塚のようである。また右遠方の山麓に見えるのは、大田南畝の見た三井某の城跡であろうか。



武田信玄の兜のご紹介

六十二間筋兜 恵林寺蔵
面頬は信玄の顔に合わせて作ったものと推定される



学研 戦国合戦大全より抜粋