古楽夢 ~参拾六~

古楽夢(参拾六)

鳥居峠硯ノ清水/英泉画

奈良井から喘ぎながら九十九折りの峠道を約半里強(約2.5キロ)登ると鳥居峠(標高1197メートル)に着く。峠の一角に西方に聳える御嶽山を遥拝する鳥居が立っていたことから、ここを鳥居峠と呼ぶようになった。またこの峠は日本海へ向かって流れる奈良井川と、太平洋に向かって流れる木曽川との分水嶺をなしていた。英泉は例によって鳥居峠を象徴する物象を集めてきて自分の意のままに配置している。遠景の山は言うまでもなく御嶽山である。左の方の街道脇に立つ芭蕉の句碑には「雲雀よりうへにやすらふ峠かな はせを」の文字が彫ってある。その下方にこの絵の副題となった硯ノ清水が描かれている。その昔、木曽義仲がこの清水で硯をすり、願文を書いたと伝えられるものである。街道の路傍で腰を下ろしている2人はともに羽織の下に腹掛をし、道中差を差し、また菅笠に竹に丸と思われる家紋も見えるので飛脚であろうか。手前の男は、右手の火打金と左手の火打石を打ち合わせ、咥えた煙管の煙草に火を付ける仕草をしている。峠道を村の母娘が歩いて行く。母親の方は背負梯子で大量の柴を背負い、娘の方は少量の柴を頭上に乗せて大原女よろしく歩いている。場違いに派手な2人の服装は英泉の好みであろうか。



シゴロのご紹介


シゴロとは、首筋から後頭部までを広く防御した小札板(こざねいた)である。兜鉢の下縁に帯のように巻いた腰巻から左右・後方に垂らしし、正面部分は左右に開いて折り返した。この箇所を吹返といい、小札の損傷防止と飾りを兼ねて、表面全体を韋で覆った。平安時代から鎌倉時代中期にかけてのしごろは、裾が広くて肩先まですっぽり包む、非常に大きなものだった。馬上で矢を射合う騎射戦への対策と考えられ、スギの形に似ていることから杉形シゴロと呼ばれる。室町時代の終わりになると、板物のシゴロも現れる。その中でも一の板だけを吹き返したタイプは最上シゴロと呼ばれる。その呼称については、山形県の最上地方が語源とされるが、詳しいことは不明である。近世の当世シゴロ・日根野シゴロは、最上シゴロの形を受け継いだものといえます。最上シゴロ・一の板だけを吹返にしたシゴロ。兜鉢のラインにそったほぼ延長上に聞き、下辺を一線にしている。普通は5段で、後頭部から両側面にかけて深く覆う。これは、笠シゴロでは守りきれなかった部分であり、同時に吹返を1枚にすることにより、シゴロが3段目から上下に自由に動くようになった。最上シゴロはこうして、杉形シゴロの機能性を兼ね備え、中世のシゴロの問題をすべて解消した形態と考えられるのである。